東京たち

うその日記/文章の練習

0823

火曜日 晴れ

 

たぬきに誘われてコーヒーを飲んだことがある。

 

まだ高校生のころだ。

相手がたぬきだということは一目みてわかっていたし、さほど気乗りもしなかった。

誘われたら無条件に「はい」と言いたくなるような抜けたあたまと、

なぜわざわざ見知らぬたぬきに選ばれてしまうのかという気持ちとが、ぐるぐる回っていた。

 

「つかぬことをうかがいますが」

 

こんな声かけの言葉をどこで覚えたのか知らないが、たぬきはわたしにむけてひらひらさせた手がグーに握られたままだったし、歩き方もひょこひょことぎこちなかった。

いまならきっとついていかないとおもう。絶対に。

 

一杯だけ、と言われて、一杯だけなら、とそのときはなぜか納得してしまった。

たぬきはやけにすたすたと歩いて駅前の喫茶店に入った。

 

せっかくだから、質問をした。

どこで生まれたのか、なんの食べ物が好きか、とか。

 

たぬきは、ひとつひとつ考え込むようにしながら、

西東京の、山の方だったですねえ」とか、

「もっぱら柿を食べております」とか、

へんに丁寧な言葉で答えた。

 

もちろん人間の男の姿に化けているのだけれど、

コーヒーにはいっさい口をつけず、水ばかりを飲んでいた。

おごってもらえるというのでわたしは何杯かおかわりをした。

 

ふだんは言葉を使わないのか、沈黙になってもたぬきは自分から話題を作るということをあまりしない。

「友達はいるの」

聞くと、

「僕らはそういう関係を持ちませんので」

と言って、瞬間、しまったという顔になったけれど、すぐに戻った。

 

たぬきの、しまった、という顔は、なんというかとても動物らしく、

鼻先に皺がくしゃっと寄って、はっ、と小さく息を吐いたのだった。

それは一瞬のことだった。

わたしはそれを少し怖いと思った。

 

そろそろ、出ませんか。

 

ああ、はいはいはいはい。

 

たぬきは早口で言ってまた、すたすたとレジの方へ行き、支払いをした。

ズボンの尻のあたりが、たぶん尻尾を押し込んだぶんだろう、少し膨らみをもっていた。

 

きょうニュースで、静岡県の街中にたぬきが出て、総出で捕獲する映像をみた。

静岡のたぬきと東京のたぬきはやっぱり、ちょっと、いろいろが違うのだろうか、とおもった。